2011年3月3日木曜日

浦上四番崩れ(片岡弥吉著) 自葬 火葬禁止令

段ボールのなかに埋もれていたちくま文庫。
1991年6月の第一刷とある。読んだ記憶があるがいまひとつ記憶がない。

確かはじめて五島列島を訪れたのはこの後、93~94年だったと思う。長崎には親近感があったものの、キリシタン関連では五島に行くようになって、目を覚まされた気がする。

幕末から明治初期、西洋からの宣教師による「キリシタンの発見」がある。270年来受け継いできた信徒が天主堂を訪ねた光景は胸を打つ。

だが、寺を呼ばずに行った自葬が頻発したことで、仏教に従わぬ異教の徒として再び迫害の手が伸びる。その後、明治新政府になってからも、今度は国家神道をないがしろにする輩として、長崎・浦上の村で邪宗門狩りが行われた。

3000人以上の村人が西日本各地の諸藩預かりというの名の流刑に。彼らは信仰の「旅」と呼んだという。
この非人道的な政府の行動に対して、諸外国の公館や外国語新聞が取り上げ、いわば「外圧」によって信教の自由という近代国家の一面が確保されるようになった。

結果明治6年2月(1873)になって、キリシタン禁制の高札が下ろされた。1614年から262年ぶりにキリシタン禁制が解かれ、浦上の人々は帰村した。

この年の7月には、「火葬禁止令」が発令された。火葬は、仏教式に葬送方法であり神国日本にはふさわしくないということだった。承知のように2年後の明治8年に火葬禁止令は破棄された。

宗教と葬送は切り離せない。

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